須崎地区在住
林 友徳さん
――――――須崎に来る前はどんなことをしてた?
地元の須崎高校を卒業後、インテリアデザインを学ぶ専門学校に進みましたが、やっぱり服飾の仕事がしたいと22歳の時に東京の服飾専門学校へ進学し、卒業後は新卒採用でメンズカジュアルの会社に就職しました。その後、衣装メーカーへ転職し、様々なアパレルのデザインに携わり、30代前半に退職しました、。自分でアパレルデザイン事業を立ち上げ、独立し、現在に至ります。
――――――移住のきっかけ
東京での会社勤めの時は、毎日終電で帰る日々で、給与も上がらないし、辛いと感じていました。独立してからは、デザインとアパレルを柱にヨーロッパの西の方や台湾などで中短期で働きながら暮らしていました。その後、セブ島の日系の縫製工場で働いていた時に、新型コロナの感染拡大が起こり、これはまずいのではと自分の中で危機感を感じました。また、次のステップにも進むために、生活コストの低い地元須崎へ戻ることにしました。
――――――移住前に不安だったこと
コロナが出始めた当初は情報が少なくて、本当に怖い感染症が起こってしまったと、その心配が大きかったです。また、自分がやってきたアパレルやデザインという職種が、須崎と相性が悪いかなぁと絶望しつつ、どう組み合わせていこうかと期待もしつつでした。
――――――須崎に移住してみて
思ったより、周りの方が助けてくれて、アパレル作品をアートとして発表できたり、共感してくれる人が多くいたのがとてもよかったです。自分の考えや作品を都会で広めようとするよりはずっと早いと思いました。
あとは、人がいないですね(笑)じっと町を見つめていても動きが無いというか。でも、深夜に商店街を散歩したりするのですが、今まで暮らした場所でこんなに安全に安心して歩ける町はここだけだなぁと感じます。
――――――生活にはどのような変化が?
食生活が変わり、タンパク質は魚から摂るようになりました(笑)あと、休みの日の過ごし方が変わりました。東京での会社勤めの頃は仕事仕事仕事仕事…でしたが、帰ってきてからは新荘川で泳いだりと子どもの頃の習慣が戻ってきて、とても満喫しています。
――――――現在のお仕事や須崎でしていること
現在は、鍋焼きラーメンのデザインをプリントしたグッズの販売を行っています。独立当初は自分のやりたいデザインを人の目を気にせずに制作していましたが、須崎で生活することを考えて、須崎に合う衣料品を作るために一番親しみのあるTシャツを製作し販売しています。また、最近はアウター展をさせてもらい、そのオーダー品の制作に追われています。
――――――人との繋がりを大事に須崎を拠点に
個人での発表の場はなかなかありませんが、良い人が多いのでいろんな人と一緒に出来そうなことがあるのではと思っています。すさきまちかどギャラリーのスタッフさんや商工会議所のスタッフさんなど色々な人が色々な人を繋げてくれて、都会にいるときはあまり感じなかった人との繋がりの大切さを感じました。今後は須崎に拠点を置きつつ、色々なところへ行って仕事や活動をしてみたいなと考えています。
――――――これからUターンを考えている方へ
須崎にない職業の人は自分の力を発揮出来るのではと思います。自分自身も学生の頃はアパレルの仕事がしたいと言っても、何を言っているんだという風な目で見られましたが、実際やってみると意外とうまくいきました。
実家へ戻ったことで、生活コストも下がりました。親からの「ご飯作れ」「結婚しろ」「仕事しろ」の言葉はありますが、価値観も違うので、もう気にしないことにするのも手です(笑)
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