須崎地区在住
戸田 哲男さん・里美さん
 

 
――――――――出身と移住前の職業
長崎出身の奥様と高知県四万十町(旧窪川)出身のご主人。転居や就職を経て、大阪で二人は知り合い、一緒になり、普通の会社員として共働きで暮らしてきました。
 
――――――――移住のきっかけ
元々ご主人は四万十町の松葉川で幼少期を過ごし、その後家族で関西へ。大人になり、家族を持ち、2008年頃から松葉川にキャンプに行ったりと、高知に遊びに来ることも。その後、定年後はゴミゴミした都会ではなく、海が近くて空と山の見える田舎で暮らしたいと考え、移住の雑誌を読んだり、相談会に行き始め、情報収集を始めました。
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最初は高知一択ではなく、和歌山なども移住先として候補にありました。
高知県の相談会に何度か赴き、そこで須崎市のブースも訪問しました。その後須崎市が開催した移住の体験ツアーで現地を訪れ、須崎の街並みや海からの通りの景色などが気に入り、須崎へ移住することを決めました。交通の便が良いことや病院や買い物に困らないことなど、これから歳をとるにつれて大変となることもクリア出来そうというのが移住の決定打となりました。
 
――――――――移住前に不安だったこと
田舎での暮らしにあこがれ、期待の方が大きかったので、不安だったことはありませんでした。しかしながら、家を購入したことで、家の事が心配になって、2年ほど予定より早く移住をしてきました。当時大阪でファイナンシャルプランナーによる資産相談会があり、そこでお金のことや移住を検討していることを話したら、前倒しで移住しても良いのではないかと言われたことも背中を押すきっかけだったかもしれません。
 

 
――――――――須崎に移住してみて
仕事が無いなというのが率直な意見です。会社員として勤めていた人が定年後に移住先で再就職するというのは、とても厳しいのだなと思いました。年齢や勤務時間、給与面などなかなか条件に合うものが見つかりません。
また、釣りが趣味なのですが、仕事を始めるとなかなか釣りに行く時間・体力も無いなぁというのが現実でした。
 
――――――――生活にはどのような変化が?
とても早起きになりました。大阪で暮らしていた頃は、分刻みで救急車が走る音が聞こえ、家の裏が大きな駐車場だったので、車の出入りの音や深夜まで車の音が聞こえてきました。それに比べて須崎はとても静かで、JRも目の前を通っていますが、全く気になりません。
チャンネル数も少ないので、テレビを見る時間も減りました。
 
――――――――現在のお仕事や須崎でしていること
現在ご主人は施設管理に従事、奥様はスーパーでお仕事をされています。
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地元の方々とのコミュニケーションでまだ方言がわからないことも多々あります(笑)
話の前後で何とか理解したつもりではいるのですが、合っているのか分からないこともあり会話に困るときもあります。
 
――――――――須崎の魅力と防災
住・食には歳をとっても困らないのではと思います。ご近所さんとの人付き合いも良好ですし。家を買ったとき、海の近くなので、不動産屋さんに本当にここで良いのかと念押し念押し聞かれました(笑)。確かに地震や津波の不安はありますが、自分自身、阪神淡路大震災を経験していて、家の中の防災対策はしっかりやっていますし、津波が来たら山に逃げるしかないので、避難経路も確認をしています。
 

 
――――――――イメージと違ったこと
移住を検討するにあたって、すごく計画をしっかり立てていましたが、家が見つかり即購入してしまったことで、話がどんどん進んでしまい、色々とリサーチ不足だったなぁと今になって思います。憧れだけで移住するのもダメだなと思います。また自治体によっても移住に関しては温度差があるんだなと思いました。
 
――――――――これから移住を考えている方へ
起業や、やりたいことなど目的をもって来る人と違って、自分たちは定年後の余生を過ごす場所を求めてやって来ました。同じように考えている人たちに伝えたいのは、計画をちゃんと立てること、リサーチを十分に行う事、お金はしっかり持ってくることです。2~3年は暮らせるぐらいの余裕が無いと、田舎での生活は厳しいな~と思います。
 
(2022年7月取材)