
2026年3月に学習塾「鯉登塾」を開校した林佑磨さん。もともとは地域おこし協力隊として移住してきた林さんに、移住に至った経緯や起業に至るまでのお話を伺いました。地域との関わり方や移住後の仕事が気になる方の参考になると思います。ぜひご覧ください。
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ー最初に、須崎に来た経緯をお聞かせください
もともと名古屋のショッピングモールに入っている飲食店で勤めていましたが、コロナ禍で緊急事態宣言が発令されて、お店が1ヶ月くらい休業になって…。そのタイミングで自分の今後の人生を考える時間ができて、人生を見つめ直してみようかな、という気持ちになりました。色々悩んでいたときに、知り合いから地域おこし協力隊のことを教えてもらったんです。
ー確かにコロナ禍はひとつのきっかけになりますよね。
それから、協力隊の制度について色々調べて、自分が興味を持てるものを探し始めました。その中で、ジビエや獣害対策関係のミッションに興味が沸いたんです。大学のゼミの授業で獣害対策について考えるきっかけがあったので、せっかく移住するならそれに関わるものがいいと思いました。そこで、ちょうど須崎に「ジビエ浦ノ内企業組合」ができるということで、その企業に携わるミッションの協力隊が募集されていたので、応募することに決めました。
ージビエへの興味が先にあったんですね。
そうですね。他の自治体にもジビエ関係の協力隊募集がありましたが、温かい南の方がいいな、と思い色々条件を照らし合わせて須崎に決めました。地域おこし協力隊は、自治体によって支援や契約の仕方も違います。社会保険が受けられなかったり、家賃補助は半分まで、逆に業務用の車を手配してくれるとか…。その中でも、須崎市の支援は、家賃が全額補助で公用車の支給もあり、他の自治体よりも手厚かったことが決め手になりました。
ー協力隊の活動をしてみていかがでしたか?
正直に言うと、実際にやってみて任期を終えた後のことが厳しいな、という思いがありました。コロナ禍の特例で活動期間を2年間延長できることになっていましたが、生計を立てていくことをシビアに考えたときに、難しいかなと。当時は協力隊が2名着任していましたが、自分は期間を延長しないことにしました。
ー地元に帰ろうとは思わなかったのですか?
よく聞かれます(笑)ただ須崎に来た地域おこし協力隊の人たちがあまり定住していない、ということを聞いていたのと、親からの反対を振り切って移住したこともあって、「簡単に帰ってたまるか」みたいな個人的な意地もあったのだと思います。でも、やっぱり須崎の人たちと飲み会やイベントを経て仲良くなったので、任期が終わってすぐ地元に帰るのは寂しいと感じていましたね。それで、任期後も須崎でもう少し踏ん張って頑張ろうと思いました。なので、須崎の皆さんのおかげです。
ー須崎の方とのエピソードや仲良くなったきっかけを教えていただけますか?
須崎に移住して最初の週末に、日曜市に顔を出したことがきっかけだったと思います。そこで、エネルギーがある人たちとたくさん出会えたことが大きかったですね。協力隊のときは週4日勤務だったので、地域のイベントに顔を出したり、飲み会によく行ったりしていました。ちょうど、地元の酒屋さんが手掛けるバルが盛り上がっていた時期だったので、それも大きかったです。
ー積極的に地域と関わっていたんですね。
そうですね。グイグイ巻き込まれてしまうというか。地域のバルがあったからこそ、たくさん交流が生まれたと思います。飲み会に顔を出しているうちに、よさこいに参加することにもなりました。せっかく高知に来たなら、よさこいには出てみたいと思っていたので、本当によかったです。よさこいには2回参加して、そこからさらに知り合いも増えていきました。
ー協力隊の任期が終わってから今に至る話を聞いてもいいですか?
協力隊卒業後は一般企業へ就職しましたが、また今後の人生について色々考えるようになりました。その途中に家庭教師を頼まれたことがあって、当時受け持ったその子は長らく不登校だったんです。これだけ少子化が進む中なのに、不登校になってしまう子がいることにびっくりしました。教育の分野であれば、以前に塾講師の経験があり、もしかしたら教育方面だったら自分はやりがいを持ってできるんじゃないかと思いました。須崎のためになることをしたいという思いもあり、学校に行けていない子や勉強に不安を感じている子のための塾ができたらと思い、「鯉登塾」を開きました。

「鯉登塾」の勉強スペース。ホワイトボードもあり、勉強に集中できる環境が整っています
ー不登校者は年々増えているって言いますもんね。
不登校になる生徒は、いじめや先生が怖いという理由だけではありません。友達と仲はいいけど授業についていけないと思ったら、学校に行きたくなくなってしまう子もいます。遠足とか運動会とか学校の行事にも参加するけど、授業が面白くないからその時間に何をしたらいいかわからなくなっちゃうんですね。そこで学力支援をしてあげたら、復学の役にも立つと思いました。

椅子に座って勉強することが苦手なお子さんへの配慮としてソファーで勉強できるスペースを設けています
ーもともとは飲食関係のお仕事だったとお聞きしましたが、これまで教育関係の仕事をしてみようとは思いませんでしたか?
いや、そうですよね(笑)履歴書を書くときに見返すとその度に方向性が違うんですよね。理系の大学出身だったので、最初は理系企業を探していました。当時、大阪の企業に就職しましたが、自分に合うようなやりたいことが見つけられなかったんだと思います。学生のときの研究でも、意義はありつつも、最終的に本質がわからなくなってしまったことがあって…。何かこう、失望感みたいなものがあったんですかね。一般企業に就職してバリバリ働いている大学の同期もいますが、自分は化学系の大学を卒業してそのまま化学系の企業に就職することに、なんだかしっくりきませんでした。
ー割り切ったり、誤魔化したりということができない性格なんですね。
そうですね。それと常に自分がやりたいことを探してきたっていう感じですかね。
ーやりたいことが見つかったということだと思いますが、場所を構えて告知も1人でしていくとなると大変だと思います。ご苦労はありませんでしたか?
この塾の物件を見つけられたのは、消防団に入っていたことが大きかったですね。消防団の活動をする中で、今後塾を開いてみたいという話をしたときに、その流れの中で物件のことを紹介してもらえたんです。普通は、契約前に物件に入れないことも多いのですが、中に入って計測もさせてもらい、準備もスムーズにできました。
ー創業するときに、補助金は使いましたか?
使っていないですね。自己資金で始めました。でも、商工会議所のアドバイザーに相談に乗ってもらっています。起業する前は、「鯉登塾一本でやっていく!」みたいなつもりだったので、希望に溢れた資金計画を立てていましたが、見事に一蹴されました。「これは軌道に乗ってきてからの話ですよね。僕は止めますよ。」ってはっきり言ってくれて目が覚めました。今は日中に副業で、教育支援員をしています。塾の事業の下支えとなる副業もしていくように考えを改めました。
ー頼るべきところにきちんと頼っている印象を受けました。
そうですね。須崎に残るならセーフティーネットじゃないですけど、どうしようもなくなったときに頼れる人がいないといけないとは思っていました。他にも「中心市街地活性化協議会」という有志の団体が当時立ち上げられたので、そこにも参加して「すさき わくわくサンデー」という子供向けのイベントも企画しました。とにかく、残りたいなら地域に根ざした人間になるべきだなと。
ーその感覚は、自然と身に着いたものか、アドバイスされたのかどちらになりますか?
どうなんでしょうね。でも、周りの人から、「残ることに決めたんだな」と思ってもらいたいと考えていました。いつの間にかいなくなっているのも嫌だなと思っていたので、残るための努力というか、「僕は残るよ」っていう意思を示したいと。自分自身に喝を入れる感じというか、「本気なんだぞ」みたいな。
ー「帰ってたまるか」という初期衝動が退路を絶っていったということですかね。
そうだと思います。自分自身で残らざるを得ない状況にしていくという感じですね。
ーそのような取り組みを経て、すっかり須崎に馴染んだ林さんですが、休日は何をされていますか?
今は土日も生徒さんを受け持っていて忙しいですけど、休みがあれば美術館に行きたいなと思っています。今やっている「キボリノコンノ展」や「レオ・レオーニ展」に行ってみたいですね。現代アートに興味があって、身近に『すさきまちかどギャラリー』もあるので、そこでもアートを楽しんでいます。それと、塾の仕事を始める前は休みがあったので、せっかく高知に来たのに観光地に行けていないことに気付いてドライブによく行っていました。
ー林さんが思う須崎の魅力も聞きたいです。
コンパクトな街なところがいいですね。ホームセンター、家電量販店、スーパーがあり、役場も近いですよね。最初は車を持っていませんでしたが、自転車で色んなところにアクセスできました。須崎の街中に住んでいたので、困ることはあまりありませんでした。観光スポットがあるところも魅力だと思います。桑田山にはそうだ山温泉があって、まちかどギャラリーの近くにも富士ヶ浜があって、桜も見られて、浦ノ内も綺麗ですし、鍋焼きラーメンの店舗もたくさんあって、紹介できる場所がたくさんありますよね。一度、時間がある時に自転車で樽の滝まで行きましたよ。
ーかなり遠いと思いますが…(笑)
自転車で1時間くらいかかりました。そのときに、この間のスタコン(すさきスタートアップコンテスト)で優勝した「ちゅら庵」さんにも行きましたね。
ー逆に移住してギャップを感じたことはありましたか?
ジビエ浦ノ内で働いているときは、地元のおじいちゃんと働く場面が多かったので、方言が聞き取りづらかったですね。土佐弁が強く聞こえて、少しビビッていました。あとは、仕方ないですけどメガバンクがないことと、ガソリン代が高いことですかね。移住してきた身なのである程度は覚悟するべきでしょうけど、ライブとかイベントに行くときには海を越えないといけません。でも、須崎の市民文化会館にスカパラが来たこともあったので、今はそんなに気にしていないですね。それと、公共交通機関のアクセスですかね。高知市内で飲むとなったら、終電に乗るために早めに切り上げなくちゃいけない。車の運転でいうなら、狭い道の1.5車線道路とかは、運転に慣れていない人には難しいかもしれません。
ーそれでは最後に移住を検討している方にアドバイスやメッセージをお願いします!
せっかく移住して来られるのであれば、いい人がいっぱいいるので、街にどんどん出て行ってみて欲しいです。包容力がある人が多いので、安心して移住してきてください!
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移住してから地域との交流を行い、退路を断つことで今日に至る林さん。これからは、須崎の子供たちの学力を支えていくようになります。林さんのこれからの取り組みを応援しております!
















