紆余曲折経て須崎にUターンした明神さん。
今は、祖父母の代から49年間続いている婦人服販売店「ブティックママ」さんで、ご家族と一緒に働かれています。今回は、須崎に帰ってきた経緯と今の仕事の充実ぶりについてお聞きしました。
 
―――どのような経緯で須崎にUターンされたのですか?
「須崎にいたのは中学3年生までで、高校からは寮に入りました。大学進学とともに関東に行って、学生時代は千葉、就職後は埼玉、それから転勤で茨城に行きました。その後、26歳で須崎に戻ってきましたが、職場は香美市でした。その後1年半ほどで退職して、27歳で本格的に須崎に戻ってきた、という経緯です。戻ってきてからは、道の駅のバイトと実家の仕事を掛け持ちしていましたが、今は家族と一緒に「ブティックママ」に専念しています。」
 

 
―――いつから地元に帰ることを検討し始めましたか?
「就職してみると、社会のしんどさも味わい、地元に戻りたい気持ちが徐々に大きくなりはじめました。それと、実家の家族のことが気がかりになってきて。3年くらい働いた頃に「石の上にも3年ねばったしな」と思い、休日を利用して高知県の仕事を探し始めたんです。その頃から都内で定期的に開かれていた移住相談会や職探しのイベントに足を運んだり、県内企業の見学に行ったりしていました。」
 
―――進学のタイミングで関東に行ったのはどうしてですか?
「一回あっちに行ってみたかったんです(笑)関東での生活を振り返ってみると、楽しかったかなぁ…でも戻ってみると地元でいいなと思っています。関東に住んでいたときは、休みの日にいかに発散できるか、という生活でした。須崎に帰ってきてからは、働いている環境もあって、自分ができることの幅も広がり充実感があります。休みがなければダメという感覚ではなくなりましたね。ワークライフバランスを、いい意味で必要以上に考えなくなったなと。」
 
―――いまの仕事は具体的にどんなことをされていますか?
「仕入れと販売、ECサイトの運営ですね。仕入れは、営業の方が持ってきた商品を選定するものもあれば、母と一緒に大阪と東京の展示会へ行くこともあります。3、4ヶ月先の商品を予約するので、真夏に真冬のコートなどをチェックします。ただでさえこんな猛暑なのに、余計に暑く感じますね(笑)以前の仕事は大企業だったので、マニュアル的に降ってきた仕事をひたすらこなす流れでした。今は、自分主導で動いていけるので、仕事に対して能動的に取り組めるようになりました。」
 
―――仕事にまつわるギャップはありませんでしたか?
「あまり考えたことはありませんでしたが、高知に戻ってきて最初の仕事は、ギャップを感じました。自治体からはオススメの企業の営業職でしたが、やってみると商品の生産が追い付かず値上げのお願いと注文のお断りばかり。年齢にしては給料も多かったそうですが、部署内の仕事量の偏りも大きかったです。今の仕事は、特にギャップは感じませんでしたね。」
 

 
関東からのUターンで、仕事にやりがいを見出した明神さん。
―――久しぶりの須崎で再発見した魅力やギャップについて聞いてみました。
「やっぱり刺身は美味しいなと思いました。関東のチェーン店でも美味しいものを食べられますが、須崎の魚の新鮮さは全然違いますね。美味しい魚はたくさんありますけど、個人的にはアジが好きかな。名産と言われていないお魚もとても美味しいです。須崎って田舎ではあるけど、田舎過ぎないちょうどいい場所だと思うんです。高知市内へのアクセスもギリギリ良いところですし。移住前に住んでいた茨城も車社会だったので、久しぶりの須崎でもギャップを感じずに順応できました。」
 
―――移住を検討している方へアドバイスはありますか?
「今の社会で暮らしていると「より良い条件、より良い環境を」という考えになりやすいのではないでしょうか?もちろんその考え方も必要ですが、行き過ぎると「一生終わることのない幸せの青い鳥探し」に陥ってしまうように思います。ご実家が商売をされているのであれば、家業にも目を向けてみる。地元でご縁がある所に見学に行ってみる、とか足元を見つめてみるのもいいと思います。それと、「今の業種はこれだから…」とかあまり考えすぎず、畑違いでもやってみるのもいいと思います。」
 
―――最後に須崎でやりたいことを聞かせてください。
「そうですね…。ブティックママ100周年を目指します!そのとき僕は、84歳ですが(笑)まだいませんが、いずれ子供や孫たちが引き継いでくれるようなお店にできたらいいですね。そうなるように頑張ります!」
 
社会人特有の悩みから解放されて生き生きと仕事に取り組む明神さん。
ブティックママさんの100周年と50年後の須崎に胸を膨らませつつ、今後の動向を見守らせていただきます!
 
(取材:2025年7月 大﨑・片田)