東京から須崎へ来たきっかけ、それは子どもへの放射能の影響を考えて、と話す杉山さんご夫婦。なぜ須崎だったのかを奥様の愛子さんに聞いてみました。
「東日本大震災が起こった後、放射能の心配が出てきましたよね。そんな危険性のある場所で暮らし、子どもたちを危ない目に合わせてまで東京にいることはないと思い移住を考えました。私はもともと須崎市出身で、主人が福岡の出身なんですが、須崎にしたのは、子どもが小さいうちは、自然の中で育てたいとの思いからです。」
一方、福岡県出身のご主人はシステムエンジニアの仕事をされていましたが、移住をされて大変だったことも多いそうです。「まず、須崎へ来て仕事がなかったことが大変でした。高知にはシステムエンジニアの求人が少ないですね。今は海岸線を通って南国市まで通勤をしています。」
―――通勤は大変ではないですか?
「車で1時間20分かけて通勤しているんですが、東京で働いている頃は満員電車で1時間、乗り継ぎもあったりとストレスのある通勤だったので今の通勤は特に苦になりませんね。朝日・夕日を見ながらの通勤は気分が良いですよ。毎日通ってたら景色なんてどうでもよくなったり、運転疲れしたりもありますけど(笑)。妻は恵まれていると言います。確かに東京と比べると気分的な違いは大いにあります。」
「職場に近い南国市に引っ越しすることも考えましたが、今住んでいる家と同じような良い物件が見つかるとは思えないんです。ご近所さんがとっても親切で、川や海も近い。大家さんもすごくおおらかな方で、人に恵まれているなとすごく感じます。」
―――須崎での子育てはどうですか?
「須崎は子育てするのにとても良い環境です。海山川全て揃っていて、近くを流れる新荘川は子どもを連れて遊ぶのにちょうどいいサイズです。海でも遊ぶだけでなく、“しゃしゃぶ”という実を採ったりして楽しんでいます。遊ぶと同時に食糧確保みたいな♪(笑)。困ったことといえば、先日子どもが火傷したときに皮膚科が開いてなかったことです。須崎の病院の皮膚科は曜日や時間が決まっているので、救急時に受診できないのが不便かもしれません。あとは、産科が無いのも困りものですね。高知市まで行かないといけないですから。あとは、須崎には子育てサークルもいくつかあります。自分の住む上分地区には、“上分仲良しクラブ”というのがあり、週1回公民館で子どもを遊ばせたり、親同士の交流ができる場があります。そういったのに積極的に参加して、情報収集したりしています。」
現在、畑に挑戦中の愛子さん。最初はどうすればいいかわからなかったところをご近所さんにいろいろ教えてもらったとのこと。「手取り足とり教えてくれました。むしろ、やってくれたと言った方が良いかもしれません。何もわからない状態で土地を借りたにも関わらず、畑を作りに来てくれるんです。笑い話なんですけど、夏の朝、子どもを畑につれて行ったら、こんな暑い時間に連れてくるなと言われ、夕方行ったら、こんなに蚊が多い時間に連れてくるなと言われました(笑)世話好きの方が多く、それがすごく有難いですね。都会に出て須崎の良さが分かったというよりも、須崎で暮らしてみて良さがわかった。という感じです。世話をやいてもらうことが好きじゃないと、こちらの生活には慣れないでしょうね。居留守なんてもってのほかです。東京では家に鍵を閉めるのは当たり前ですけど、こちらは鍵を閉めません。お客さんは「こんにちはー」と声をかけながら必ず戸を開けますからね。開かないと留守とみなされてしまいます。(笑)」
須崎で暮らし始めて自分たちで出来ることが増えたという杉山さんご夫婦。「自家製の味噌や梅干し、梅酒もつくります。何でも自分で作り始めたんです。今度は、地元のおばあちゃんに弟子入りして漬物作りもしていきたいです。生きていくことをおじいちゃんおばあちゃんから学ぶんです。大工や畑、田んぼを当たり前にできる、生活のすべを知っているってかっこいいなぁと。魚をさばけるようになったのもこちらへ来てからです。魚を丸々もらうこともあるので、さばけないと食べられないんです。」今度は自分たちが子どもにも教えて行く番。と、目を輝かせながらお話ししてくれました。
「想像していたよりも、お給料は少ないけど、こんなに美味しい野菜、生きてるイカなどもいただけて、とっても贅沢だと思います。一般的な贅沢は出来ないけれど、これで十分だと感じます。」
これからもやりたいことがたくさんあると話す杉山さんご夫婦。 今後も楽しい須崎暮らしを満喫して欲しいと思います。
(取材:2013年4月)