15年前に大阪から須崎の上分地区に移住した辻本さん。
50歳のときに移住を検討し始め、案内された物件に一目惚れし、大阪への帰り道で移住を決断したそうです。以前、取材したのは12年前。そこから変化はあったのでしょうか。
―――移住して15年経っていかがですか?
「最初のころは、須崎にいるのがまだ不思議に感じていましたね。「なんで俺はいまここにおるんやろ?」みたいな。今はだいぶ馴染んだけど、まだ関西弁を使っていますね(笑)住民同士の距離が近くて、監視されている感じもするけど、自分の場合はそれがストレスにはなりませんでしたね。むしろ災害とか何かあったときに、自分のことを知ってくれている方が安心かなと思います。最近は孫の送り迎えをしているけど、雨が降ったときとか自然の景色が毎日違ったように見えて、いつもドライブしているような感覚です。」
―――都会と地域の違いについてはどうでしょうか?
「最近、須崎にチェーン店の回転寿司がオープンしたけど、大阪で飲食店に入ろうと思ったら数時間待つのは当たり前ですよ。昼ごはんのつもりだったのに、もう晩ごはんの時間になっている。みんなが「高知のイオンにたくさん人が来ていた」と言っても、心斎橋に比べると全然大したことありません(笑)大阪で車に乗って移動すると渋滞が当たり前だけど、須崎は待つ時間がとにかく少なくてストレスが溜まりません。渋滞はほとんどなく、予定通りの時間に、目的地へ到着できる。そういえば、移住したばかりの頃、銀行で順番待ちの番号札の発行機が設置されていないことに驚きました(笑)」
―――住民の方々の人柄をどんなときに感じますか?
「あったかふれあいセンターに来てから、みんなで協力して作業をすることが増えました。みんなそれぞれ得意分野があるから、協力して毎日何かを作っています。ここに来て1年半くらいだけど、何かをやってみようと言ったら、すぐにみんなで取り掛かれる関係性が出来ています。」
現在は、あったかふれあいセンター上分でボランティアをしている辻本さん。取材当時は七夕シーズンということで、素敵な飾り付けもされていました。装飾のクオリティに驚かされつつ、改めてこちらにやってきた経緯を聞いてみました。
「最初の頃は、ゆっくりコーヒーを飲みに来ていただけだったんです。何回か顔を出していると、ボランティアの誘いがありました。ボランティア講習のときのアンケート用紙に特技を記入していると、隣に居た知り合いが「こいつもギター弾けるよ」と言い出した(笑)「え!」って思ったけど、そこから意気投合して高校生のとき以来にギターを練習して、演奏できるようになりました。実は、もともとボランティアをしてみたいと思っていたんです。移住した年に東日本大震災があって、2018年には西日本豪雨がありました。それらのボランティアにも参加したかったけど、逆に迷惑をかけてしまうかもしれないと思って参加できませんでした。ここは女性の高齢者も多くて、「男性の手があった方が便利かな」と力になりたい気持ちがありました。色んな人と交流できるので楽しいですよ。昼間に来れば、家のエアコンを使わなくていいので節約になりますしね(笑)」
あったかふれあいセンターかみぶんの情報はコチラ→Instagram https://www.instagram.com/attaka_kamibun/
―――移住していちばんよかったことを教えてください。
「趣味が増えたことです。もともと釣りが好きで今も釣りにはいきますが、須崎は魚が釣れすぎて釣りたい魚は全部釣れました(笑)。今は、絵を描いたり、ギターを弾いたり、歌ったり。得意というわけではないけど、チャレンジしているとなんでもできるようになるもんです。最近は陶芸もやっています。歌は、本当はあいみょんとか最近の歌を歌いたいけど、みんな知らないので、例えば三波春夫とかを歌いますね(笑)でも、これからは自分が好きな歌をもっと歌っていきたいです。」
―――移住を検討している人へアドバイスはありますか?
「須崎の中でも、どの辺りに住みたいのかは考えていた方がいいと思います。中心地と田舎の方でも雰囲気が違いますからね。繁華街に行ったりとか、お金を使う趣味が好きな人には合わないかもしれないけど、アウトドアが好きな人にはぴったりな場所です。上分は夜になったらエアコンを消しても問題ないくらい、涼しいですよ。」
―――前回の取材のときは、90歳まで生きたいと言っていましたが、今の目標はどうですか?
「最近は、嫁さんと120歳まで生きようと話しています(笑)僕たちが子供の頃は、「人生60年」と言っていたけど、今は100歳くらいまで生きている人も珍しくないですよね。自分が90歳になった頃は、120歳まで生きている人が当たり前でも不思議でもないよなと。」
―――それでは”人生120年”。須崎でこれからやりたいことはありますか?
「この地域を盛り上げたいけど、人が増えすぎて田舎じゃなくなるのも困りますね(笑)でも、程よく人が増えて若い人にも残ってもらえるように、何かできることはないか考えています。今やっているのも本格的なボランティアというわけではないけど、喜んでくれる人を見るのが楽しい。あったかふれあいセンターに毎日来るメンバーが7人くらいいるけど、集まってくだらない話をしたら、新しいアイディアが浮かんできます。このまちは、お金がなくても楽しめるところがいいと思います。楽しいことをするのが好きなので、これからもチャレンジをしていきたいですね。」
常に前向きでチャレンジ精神旺盛な辻本さん。今回の取材でとてもパワーをいただきました。辻本さんの趣味と特技がどんどん増えていくのが楽しみです。ぜひ須崎を盛り上げてください!
(取材:2025年7月 大﨑・片田)
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取材記事をまとめてくれた、須崎市地域おこし協力隊片田さんによる、ビデオエッセイ「上分地区ー辻本隆さん」
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だんじり祭りで有名な大阪府岸和田市から須崎の上分地区に夫婦で移住してきた辻本さんは、子どもの頃から大の釣り好きだったといいます。「大阪に住んでいるときは週末になると和歌山へ車で片道二百キロ走って釣りに出かけてたんですが、須崎に来てからは、近場に釣りスポットがたくさんあるので暇さえあれば釣りをしています。須崎は三十分走れば大物釣りも出来るし、磯も湾もあるのでいろんな釣りが楽しめますよ。朝、目が覚めて、条件が良ければ即釣りに行く、といった感じですね(笑)」
そう話す辻本さんは、五十才の時に移住を思い立ち、田舎暮らしの本やケータイで物件を探し須崎へ。「思った以上に良い物件だったので下見の帰りの高速で、嫁と移住を決めたんです。その物件は嫁の希望の縁側もついていたし。環境によって気持ちもずいぶん変わるもんですね。釣りがしたいから、正社員を断ってパートにしてもらったぐらいです(笑)。移住となると、なかなか一歩が踏み出せないと思うんですけど、私の場合は物事を深く考えないので、すんなりと移住を考えることができました。今から思えば大阪のガチャガチャした暮らしが信じられませんね。のんびりできて、今はほんとに幸せですわ。」
―――須崎はどうですか?
「やっぱり自然は魅力的ですね。四季の移り変わりなど、見ていて飽きません。あとは、都会みたいに人が多くないので、花火大会(須崎まつり)などもゆったりと楽しめる。大阪に住んでる時は花火を見に行ったのか人を見に行ったのかよくわかりませんでしたから。須崎はほどよい人口ですよね。もうひとつ気付いたのが、こっちはお年寄りが元気です。今まで、『人生七十五年』と思っていましたが須崎に来て九十才までは生きないと!と思うようになりましたね。」
近々、お子さん家族も須崎に移住されるといいます。そんな辻本さん一家、これからも、須崎を満喫していただきたいと思います。
(取材:2012年4月)